乱痴気STARTER所属のイシズカもんじゃです。本日のブログを担当いたします。
舞台を観るのが好きです。
音と光がリアルタイムで交差して、大勢の観客の前で『舞台のセット』から『ここではない何処か』に変わる瞬間は、何時だって興奮します。
舞台は観客の目の前で物語が展開します。だから、呼吸のタイミングや細かな動きが毎回違います。
関係者は舞台初日に来場されたお客様と千秋楽(最終日)に来場されたお客様に、できるだけ同じ内容を提供しようとします。……しているはずです、基本的には。
しかし、事実として同じ内容は一度だって存在しません。これは完成した映像を何度でも再生できる映画やアニメとは決定的に異なる点です。
台詞を噛むかもしれない、登場するタイミングを間違えるかもしれない、衣装を踏んで転んでしまうかも……、
そういったリスクを背負ってまで、舞台という表現にこだわる人々がいるわけです。なんででしょう、よくわかりません。
だからこれは、イシズカもんじゃの考えた答えです。
もんじゃが舞台という表現を愛するのは、観客を巻き込み当事者にするため。
観客のいない劇場で行われる公演は、それは表現ではありません。だって誰も観ていないから。
映像作品として発表されることを前提に制作された作品は、記録媒体に『保存』されます。音楽、絵画、彫像なども『保存』が可能ですね。
でも舞台は保存できません。生み出された直後に、その表現は消滅します。
最近は記録用・販売用に公演を録画する団体も(アフリカ座を含め)多いですが、やはり舞台表現は『その瞬間』座席にいるお客様にしか伝わらない空気感が多分にあると思います。
だから、どれだけ稽古を重ねても、どんなに芝居のうまい役者を揃えても、どれだけ腕のいいスタッフが揃っても、
あなたが観てくれないと、舞台は未完成のままなんです。
アフリカ座を応援してくださる皆さん。ありがとうございます、これからも一緒にアフリカ座の作品を作ってください。
まだアフリカ座を観たことがない皆さん。どうぞ一度、アフリカ座の作品をご覧になってください。あなたたちの声が、アフリカ座をさらに大きくしてくれます。
まだ舞台を観劇したことがないあなた。
あなたが観て、面白かった……つまらなかった……笑った、泣いた、何かを感じたことで、初めて生まれる芸術があります。
まずは『アルキミコ』×『新訳真田十勇士』、一緒に作ってください。


観客がいないと舞台は未完成のままだというもんじゃさんの考えは正にその通りだなと思いました。そして、やはり舞台は生が1番ですね!